埼玉県の難読駅名10選。地名の由来も調べてみました。

仕事の関係で埼玉県に8年程度住んでいたことがあって、ある程度土地勘があったりします。そんな埼玉県の難読駅名を10個選んでみました。難読地名って古くから地元にあるものが多いですね。個人的にはいつまでも残って欲しいなと思います。

最近の新駅に多いカタカナ交じりのキラキラで長い駅名はあまり好きじゃないなあ。例えば「高輪ゲートウェイ」みたいなの・・。シンプルに「高輪」だけにした方がずっと恰好いいと思うんだけど。

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埼玉県の難読駅名10選。

男衾駅(東武東上線)

東武東上線でも小川町のさらに先、寄居の手前にあるのがこの男衾駅です。東上線もここまで北に行くとローカル線みたいな風情になってきますね。東上線ユーザーでもこの駅知らない人多いんじゃないかな?

読みにくさでは埼玉県で難易度最高?と思われるのがこの男衾駅。「おぶすま」といいます。大体「衾」ってどう読むのかわからない。Wikipediaによれば衾(ふすま)は平安時代などに用いられた古典的な寝具の一種だそうで。歴史のありそうな地名ですね。

「男衾」の地名の由来

上のサイトによれば、「男衾村: 村名は式内社と伝える小被(おぶすま)神社が、かつては郡内の惣社であったところからその社号にちなむ。」とあります。

仏子駅(西武池袋線)

西武池袋線の入間市の次の駅がこの仏子駅。「ぶし」と読みます。「ぶっし」「ぶつこ」とか読みたくなりますね。

地名の由来(図書館いるま・こども郷土資料より)|入間市|香り豊かな緑の文化都市
昭和41年11月1日、豊岡町、藤沢村、宮寺村、元狭山村、東金子村、金子村、元加治村が合併して市になるときに公募で選ばれました。(応募者数2,332人、応募市名297点・入間(いるま)・入間(いりま)・入間野・金子・埼玉・修武・豊武・東豊岡・...

地名の由来ははっきりしなくて入間市のサイトによれば以下の3つの説があるそうです。

1、「フジ」とは、多く、小さな平地や河岸段丘、谷頭、鈍頂の山などにみられる地名なので、地形によるものであるという説。(埼玉県地名誌)
2、昔、ここに「仏師」が住んでいて、それが元になったという。(武蔵野歴史地理)
3、昔、ここに「武士」が住んでいて、それが元になったという。(入間郡誌)

入間市ホームページ:地名の由来(図書館いるま・こども郷土資料より)

小手指駅(西武池袋線)

この小手指駅も読みにくい駅名ですね。「こてさし」と読みます。東横線が副都心経由で西武池袋線に直通するようになってから。東横線内でもこの「小手指」行きの電車を見るようになりましたね。多分神奈川県民のほとんどはこの小手指がどこなのか知らないんじゃないかな?

所沢の足跡 ~地誌編~
所沢市立所沢図書館のHP

古い地名なのでやはり由来については諸説あるようです。上のサイトによれば以下の4つの説があるそうです。どの説が正解だったとしても歴史のある地名だと言うことには違いないようです。

1.合戦の舞台となったことから、武具である「篭手(こて)」にちなんだとする説。
2.昔、日本武尊(やまとたける)がこの地にて小手をかざして前方を見たという伝承による説。
3.昔、この原野に生えていた茨(いばら)の名称とする説。
4.「さし」は焼畑を意味し、原野を開墾したことによるとする説。

所沢市立所沢図書館オフィシャルサイトより引用

高麗駅(西武池袋線)

こうしてみると西武池袋線って難読駅の宝庫ですね。「こま」駅と読みます。「高麗人参」とか有名なので「こうらい」とか読みたくなったりしませんか?

高麗郡建郡1300年の歴史と文化|日高市ホームページ
日高市では、「高麗(こま)」という地名や、「高麗神社」や「高麗川」などの名称を目にします。これは、古代朝鮮半島「高句麗(こうくり)」と深い関わりがあったことを表しています。716年(霊亀2年)に、「高麗郡」が置かれ、高麗人たちが移住しました...

日高市では、「高麗(こま)」という地名や、「高麗神社」や「高麗川」などの名称を目にします。
これは、古代朝鮮半島「高句麗(こうくり)」と深い関わりがあったことを表しています。
716年(霊亀2年)に、「高麗郡」が置かれ、高麗人たちが移住しました。

日高市オフィシャルサイト:高麗郡建郡1300年の歴史と文化より引用

吾野駅(西武池袋線)

ここまで西武池袋線4連続ですね(笑)。「あがの」駅と読みます。「ごの」「われの」とか読みたくなりますね。

実は昭和44年に吾野から西武秩父線が延伸して中間駅になるまで西武池袋線の路線の終点の駅だったのです。そして今でもこの駅は西武池袋線の終点でかつ西武秩父線の起点になっています。

吾野の古い町並み

上のサイトによれば、吾野という地名は古来この一帯が上我野郷と呼ばれていた事に由来するとのこと。「上我野」が「吾野」になったみたいですね。

越生駅(八高線・東武越生線)

「越生」は地名としては(梅林なので)有名かと思うのですが、意外に読みは難しい。「おごせ」と読むのですが、普通に読むと「こえお」「えっせい」とかでしょうか。

町の紹介|越生町ホームページ
越生は難読地名の代表格です。その語源については諸説がありますが、平野と山地の接点にあたる越生からは、秩父に向かうにも、上州に向かうにも尾根や峠を越えなければなりません。それに由来した『尾根越し(おねごし)』の『尾越し(おごし)』という言葉か...

越生町オフィシャルサイトの「町名の由来」ページには地名の由来について下記のように書かれています。

越生は難読地名の代表格です。その語源については諸説がありますが、平野と山地の接点にあたる越生からは、秩父に向かうにも、上州に向かうにも尾根や峠を越えなければなりません。それに由来した『尾根越し(おねごし)』の『尾越し(おごし)』という言葉から変化したという説が有力視されています。

越生町オフィシャルサイト:町名の由来

羽生駅(東武伊勢崎線・秩父鉄道)

「はにゅう」と読みます。同名の有名スケート選手と同じ読み方なので、今では読み方も世間的に知られているかもしれません。ただし同じ漢字で「はぶ」と読む人名もあるので日本語って難しいですね。

羽生市の歴史
羽生市の成り立ち  利根川沿いの羽生のまちは、水利がよく土地も肥え、早くから農耕文化が栄えたところで古い塚や古墳、出土した埴輪はそのことを証明してくれます。このため羽生の地名は埴輪から転化したものだといわれています。歴史上、羽生...

利根川沿いの羽生のまちは、水利がよく土地も肥え、早くから農耕文化が栄えたところで古い塚や古墳、出土した埴輪はそのことを証明してくれます。このため羽生の地名は埴輪から転化したものだといわれています。

羽生市オフィシャルサイト 羽生市の歴史より引用

塙輪(はなわ)から転化したものと言われているのですね。「はなわ」→「はにゅう」なんて凄い転化っぷりだなと思いました。

幸手駅(東武日光線)

「さって」と読みます。これも読みにくいですよね。「さちて」「こうで」とか読んじゃいそうになります。

幸手の地名の語源は2つの説があるそうです。

アイヌ語説  第1番目が「アイヌ語説」です。
 Sat(さッ)→水の涸か れている、乾いている
 Sattek(さッテク)→やせている、が原義。川が夏になって水が涸れて細々と流れている状態

薩天ヶ島説
倭建命が活躍した時代のはるか昔、約6,000年前の縄文時代は今より温暖な気候
で、海が関東平野の内陸部まで入り込んでいました。これを「縄文海進」といいます。
その頃、幸手市域の大部分は海の底でしたが、高台にあった槙野地原遺跡で発掘さ
れた縄文時代の貝塚からは、カキやハマグリなど海の貝が見つかっています。
「幸手」という地名の由来と、潮騒が聞こえる海の記憶を秘めた大きな入江に浮か
ぶ「薩天ヶ島」。が地名の由来になったという説

幸手市文化遺産だよりより引用

どちらの由来もぶっ飛んだ説ですが、東北や北海道ならわかるんですが関東でもアイヌ由来の地名ってあり得るんですね。また昔は幸手市付近も大部分が海の底だったと言うのがびっくりもします。いまだと幸手から海行くのってかなり時間がかかりますよね。

加須駅(東武伊勢崎線)

「かぞ」と読みます。普通に読めば「かす」ですが、これだとイメージ悪いですね。うどんで有名な場所で、埼玉県に住んでいた時はわざわざ加須にうどんを食いに行ったことがあります。

地名の由来についてはいくつかの説があるようです。

古くは「加増(かそ)」と読み、新田として石高を加増されたことに因む地名が元禄時代に「加須」へ改められた説がある。そのほか、利根川本流の「河洲(かす)」が転じたという説や、光明寺の開基を行った人物である「加須内蔵丞長高」の姓「加須」に因んだとする説がある。

Wikipediaより引用

指扇駅(JR東日本川越線)

「さしおうぎ」と読みます。荒川のすぐそばにある駅で、埼京線は荒川を長い鉄橋で渡ります。

地名は地形に由来しているようです。

さいたま市/西区の沿革(西区略年表)
平成15年4月にさいたま市が政令指定都市へ移行したことに伴い、西区は誕生しました。

「サシ」は日向地・傾斜地、「オギ」は崖・湿地の意味があり、湿地に続く傾斜地・日向地の「サシオギ」から名づけられました。

さいたま市オフィシャルサイト 西区の沿革(西区略年表)より引用
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最後までお読みいただきありがとうございました。