最近は藤井 風さんの曲ばかり聴いている。紅白に出たこともあるのでかなり世間的には有名ではあるだろう。自分の紅白で「死ぬのがいいわ」を観てちょっと興味が出て聴いてみたりしたのだけど、そのときはあまりピンと来なくて。今思えばその時の自分の感性の無さに恥じ入るばかりであるのだが。
きっかけはやはりYouTubeで「帰ろう」がお勧めに上がってきてなんとなく聴いてみたのだが、この曲にとてつもない衝撃を受けたのだった。もし自分の葬式で流す曲があるとするなら、この「帰ろう」しかないと本気で思っている。
藤井 風さんが自らの死生観を歌った曲「帰ろう」
YouTubeでMVを何回も見て(聴いて)、いろいろな人の解説動画を見たりして、この曲の歌詞は藤井風さんが自らの死生観が反映された曲であることを知った。
この曲では死ぬことを「帰ろう」と表現している。またこの曲では少なくとも死を全くネガティブな事に捉えていない。死ぬことは「終わり」というわけではなく、(もともと生まれた時にそうであったように)何も持っていない状態に帰ることだと歌っている。(と解釈している)
そして去り際に持って行けない物は全て与えて帰ろう、憎しみや心の傷は忘れようと歌っている。
それにしてもなぜこの曲は聴く度に感動するのだろうか?歌詞、歌唱、曲、サウンド、そしてMVまでもが全て「凄い」のだと思う。(語彙力無くてごめんなさい・・・)
今をどう生きるかを考えるきっかけになる
僕はスピリチュアルとかほとんど縁の無い類の人間なのだけど、死後の世界って本当は誰にもわからないよね。だって一度死んだ人が死後の世界見てから再び行き帰ることなんて、できないのだから。
でも、「わからない」のであれば、現世を生きている人間が死後の世界をどうイメージしたとしても、それは自由だと思うんだよね。どうイメージしても決して間違いとは言い切れないんだし。
だったらむしろ自分がこの現世をより前向きに、幸せに生きれるような死生観を持った方が良いのでは無いだろうか?今はこの曲を聴きながらそんなことを考えている。
この曲は最後こう締めくくられている。「ああ今日からどう生きて行こう」
この曲を聴いた人はこれからの自分の生き方について考えたりすること、あるんじゃないだろうか?
曲の世界観を見事に視覚化したMVが秀逸
曲が素晴らしいのは言うまでも無いのだが、MV(ミュージックビデオ)もこの曲の世界観を見事に視覚化していて、音楽+映像をMVで視聴することで感動が増幅するんだよな。とにかく見て欲しいのだけど。
周囲に何も無さそうな場所を通る一本のまっすぐな道。そこを風貌、年齢、性別もバラバラな人々が同じ方向に歩いている。ある人は一人で。またある人はカップルだったりする。これを見ると人は生まれてからそれぞれがいろんな人生を歩んでいるのだなと思う。
その中で一人、ランドセルを背負った少年だけが赤い風船を持って歩いている。あと女子高生?と思しき少女。この二人が一緒に歩いている。
途中、白い古い車(藤井風さんの故郷の岡山ナンバーなんですよね)を運転していた年配の老人が、みんなに挨拶して先に行ってしまう。恐らくこの老人は「帰られた」のかな?と思う。
そしてその後、この少年が持っていた赤い風船を手放すと無数の赤い風船を一気に空に飛んでいく。その中で踊る老人のカップル。このシーンこそ、このMVのハイライトじゃないだろうか。僕はいつもこのシーンで胸が熱くなって来る。
この直後、少年は一人でランドセルを背負ったまま一人でどこかに行ってしまう。この少年は「帰らなかった」のか?
その後歩いていた人は次々と持っていた荷物を捨てて、つないだ手を放して歩き出す。この人たちはみんな「帰る」んだ。
曲が終わって最後一人で路上に立つ少女が映される。この少女は持っているかばんを捨てていない。とするとこの少女は「帰らなかった」のかな?
個人的にはまだまだ謎なシーンもあるんだけど、あれこれ考えるのも楽しかったりする。
YouTubeのコメント欄も熱い。
またYouTubeのコメント欄もこの曲に心を動かされた人のコメントで埋まっている。2024/3/6時点でコメント数は13,419件。再生回数も3392万ととてつもない数字なのだ。年齢性別を問わずいろんな人のコメントが書かれている。特に高齢者のコメントが目についたりもする。
藤井 風さんはまだ20代の若者なのだけど決して若者の為だけの音楽ではないのだ。その音楽が年齢、性別、国籍を超えて愛されることは、何て素晴らしい事なのだろうかと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。