愛猫の「りり」が2024/7/20、永眠しました。りりと過ごした14年間を振り返ってみた。

たーぼうです。飼っていたメス猫の「りり」が2024/7/20、23時、14歳で永眠しました。気持ち的にようやく少し落ち着いてきましたので、りりと過ごした約14年を振り返ってみたいと思う。

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生誕~「りり」「らら」との出会い~家に迎えるまで

今まで、メス猫の「りり」・オス猫の「らら」の2匹の猫を飼っていました。2匹とも同じ日に生まれた(2010年7月4日生)兄弟猫。だから生まれる前の母親のおなかの中に居た時からからずっと一緒。生後間もなく道端で段ボールに入れられて捨てられて、激しく鳴いていたところを運よく保護猫活動をしている方に拾われて育てられたのでした。

拾われた直後の「りり」

ちなみに2010/7/4生まれは推定です。上の写真は2010/7/29撮影なので、推定生後25日ですね。それにしてもこんな幼い猫を捨てるなんて心無い人がいるもんですよね。保護猫活動をしていた方はよく鳴くので「ひばり」と名付けて育てていました。

保護猫活動をされている方の家で初対面した時の「りり」。

猫の里親募集の情報を見た妻と僕が、実際に見に行ってその場で飼うことを決断しました。妻は男女の姉弟猫を飼うのが希望だったので条件がぴったりだったのですね。このとき2010/12/4で生後5ヶ月。だいぶ猫らしくなってきましたね。そして「りり」と「らら」を家に迎えたのが5日後の12/9でした。

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家に迎えてからの日々

家に来た直後、「りり」と「らら」は環境の急激な変化に戸惑ったのか、家のどこかに隠れてしまいました。探しても見つからないので、妻はパニックになりそうだったとのこと。で、どこに居たかというと、洗濯機の下に空洞部分の隙間に隠れていたのだった。こんな場所に隠れてたなんて見つかるわけないよな・・。

家に迎えて1週間後くらいの頃、家を新築した直後で床が奇麗ですね。

1週間もすると「りり」・「らら」も家に慣れ、僕と妻にも慣れて甘えるようになった。

僕で足で暖を取る、「りり」と「らら」飼い主にとっては至福の時だ。重いけど。2010/12/18撮影。
家に来て1カ月もするとこんなに無防備な体制で寝るようになった。2011年の元旦。

若い頃の「りり」は僕の膝の上でよく甘えたり、寝たりしていた。飼い主にとっては至福の時ですな。

お腹の包帯は避妊手術の為のもの。2011/1/16

うちは、都市によくある3階建ての狭小住宅なのだが、家が縦に長いのは猫が運動するには、都合の良い住環境なのだそうな。

猫は高い所が大好き 2011/2/1

下の写真は、2014年の頃。この頃体重が5.7kgもあった。今思えば猫が若いうちから給餌量と体重をしっかり管理しておけばよかったなと思う。

僕の腕にすがる「りり」かわいいよな。 2014年ごろ。

「りり」と「らら」はよくケンカもしたが基本的には仲は良かったと思う。「りり」はよく「らら」の顔や体を熱心に舐めたけど、あまり「らら」は「りり」を舐めなかったので、なんとなく「りり」が姉で「らら」弟のキャラに見えた。

ちなみに「りり」と「らら」性格が全然違う。りりはアグレッシブでチャレンジャーな性格。ららはやさしくおっとりとした性格。どちらも甘えん坊ではあるけど、甘え方が異なる感じ。

「らら」を熱心に舐める「りり」 2015/9/11

下の写真、猫が意図的にポーズを取っているように見えません?(笑)

2015/9/28

こうやってじゃれてくるのは飼い主にとってはこの上ない至福ですよね。

2016/4/8

うちの場合、10歳くらいまでは「りり」も「らら」あまり病気もせずに、健康だったと思う。ただ血尿を出したことがあったので「ユリナリーケア」のカリカリを与えていたくらい。

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晩年

「りり」は10歳を過ぎてから、病気になることが増えた。人間も猫も同じでシニアになると病気になることが多くなるのだ。11歳の時、肥満細胞腫という、悪性の腫瘍が足の付け根に出来たので手術で取り除いた。詳細は下の記事に書いてある、

そして去年2023年10月7日、いきなり吐血した時は焦った。この時の経緯もブログに書いている。

2024年の2月頃からりりの体調が思わしくなくなる。その頃から毎日の食事量、便通、体重、嘔吐等気になった症状などをグーグルスプレッドシートに記録するようにした。このことは動物病院で先生に正確な症状説明するのに役立ったと思う。

2月下旬、膀胱炎を患い、入院。この頃は食べても嘔吐をすることが多く、体重は3kgを切っていてかなり痩せていた。腎臓の数値も悪いとのことで、以降は「りり」の食事を腎臓療法食に切り替えたが、この腎臓療法食はあまりおいしくないらしく、以前に与えていたユリナリーケアのご飯を食べたがった。

1週間ほどの入院後退院したが、その後体調は良くなったり悪くなったりしていた。これ以後、多い時は毎日、少ない時でも週1日は通院しては、点滴をする日々が続いた。

若い頃のりりだったら餌を残すなんてありえない事だったが、頻繁に残すようになった。2回だった1日の食事回数を6回に増やして、なんとかトータルで給餌量を維持できるようにいろいろ工夫した。そのかいもあってか、2024年7月4日にめでたく迎えた14歳の誕生日には、体重は3.8kgまで戻っていた。

めだたく14歳の誕生日を迎えたのだったが・・

2024/7/13頃の「らら」(左)と「りり」(右)

そう、りりはつい最近までは健康を取り戻しつつあるようにすら見えたのだった。異変が起きたのは、7月中旬事からか、やけに尿量が増えた。食事はそこそこ食べていたのに体重は減少傾向になっていた。

7/18にはかなり元気が無くなって食事をほとんど食べなくなった。通院時に検査したら便秘になっているとのことで、植物繊維が入ったカリカリを処方された。

翌日7/19さらに元気が無くなりぐったりして、寝たまま動かなくなった。その寝たままの状態でままおしっこを漏らしていたのには驚いた。きれい好きの猫はよほどのことがない限りはトイレでおしっこをしたがるのに、その元気もないとは。これはやばいということで急遽動物病院へ。そのまま緊急入院となった。その日の夕方動物病院に面会に行くと、浣腸して便秘が解消されたのが功を奏したのか幾分元気になっていた。だみ声で鳴いて、家に帰らせろと主張しているように見えた。

ただその時に先生言われたのが、血糖値が600以上と異常に高く(正常値は71-148)、膵臓に炎症があるとのことだった。その時は不調の原因がようやくわかって良かったなと思った。治療して治ればまた退院できるんじゃないか?とその時は思っていた。

翌日7/20。昼頃面会に行くと明らかに具合が悪そうだった。夜9時頃先生からかなり容体が悪いとの連絡があり、急遽病院へ。息はしているものの目は開いたままで、舌が口から出たままだった。呼びかけに反応しない。意識が無さそう。先生は必死に治療を継続していた。

その時はいったん帰宅したが、夜11時頃先生から再度、容体が急変したとの連絡があり、急遽病院へ。心停止していて先生が必死に心臓マッサージしていた。夜11時15分。逝去。14年と16日間の猫生が終わった。

最後はあっけない死のようにも感じたけど、逆に言えば苦しむ時間が少なかったのは幸いとも言える。必死に治療に当たってくれた先生には感謝しかない。

「りり」が生きている間、僕と妻は愛情をもって一生懸命世話をした。様子がおかしければ動物病院に連れて行った。今回も打てる手は打った。そういう意味では悔いはない。

「りり」がいなくなって「らら」も淋しい思いをしているのかもしれないな。

これからも「らら」を大事に世話していこうと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。